プラプラ人生

人生目標を立てずにただプラプラと生きている人間と比べると、一目瞭然で充実している人間とでは違いが圧倒的に表面上にも出ているのです。最近では女性たちの目標といえば、なぜか幸せな結婚だったりといった幼稚園児が言いそうなことを夢見ていたり、幸せになることに必死になっているのは、やっぱり不幸にはなりたくないからですよね。しかし不幸と幸せの意味を履き違えているともう何が正しくて何がいけないことなのかが分からなくなるばかりです。

できるだけ正しい道に導いてほしいと思っているのは誰もが同じでしょう。たくさんの人と出会いがあったとしてもそこに何らかの結果をだすことができなければどこに行っても幸せをアピールすることはできません。幸せになるのはどうしても自分が努力しなければつかむことができず、誰かに求められることが幸せかもしれませんし、幸せそのものの意味が違えば、自分が思うがままに生きることが幸せだと思っている人もいるのです。

出会いを探す方法といえば誰にでもできること。しかしそこに何羅漢アクションを起こさなければならないのはなおさらであり、出会いがあっても相手が最低なおとこであればその出会いに誰もうらやましいとおもうことなんてありません。DVを受けているのに、あたかも幸せそうな表情で表に出る人がいるかもしれません。殴られてもボコボコにされてもそれが愛の形なんだと思っている人はもちろん幸せ極まりないでしょうが、それは単なる少数派意見の話であり、決をとれば負けることなんてわかっています・・・

なぜ人はそんなに出会いを探してまで幸せになろうとするのでしょうか?この先に素敵な男性に出会うことができないのであれば死んだほうが百万倍ましだと思っている人はなぜ異端者とされてしまうのでしょうか?出会い系サイトで知り合ったからといってできるだけこれからもながくこの関係を続けたいと思っていてもそこに何の愛の証も、相手からのないかしらのリアクションも見ることができないのであれば、何の意味もないのです。

どうしても誰かに認められたい一心で自分を売り込んでもそれを認めてくれる人がいなくてもがき苦しむ結果が出会い系サイトに書き込みをするような羽目になるのであれば、孤独で生きる覚悟を決めている人のほうが、いくらかマシに感じることができるのです。出会いなんて探さなくても本当は向こうからやってくるもの、ただ待っているというだけではなくて、すべてが何かの形であらわれてくるもの、もしくは自分からほかでアクションを起こすことで出会いというのはやってくるもの。人が勘違いしているのは幸せは自分の手で掴むものだとおもっていることではないでしょうか?

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